1月3日(火)

タイヤの中央部分のみがすり減った

走行距離600キロ

これから先は今迄のリードを保って、そんなに先を急ぐ事はすまいとAM8:00にホテルを出る。
とは言ってもシドニーとは3時間の時差がある。出発前に洗車をした。
リアのタイヤの摩耗が激しく、パースでタイヤを新品に交換しなければならないだろう。
僅か1万キロそこそこで新品に履き替えるなんて!
でも、オーストラリアの道路舗装は日本と違い路面が荒い。
この路面を150キロ/h前後の速度で走る事は、タイヤにとっては当然の事かもしれない。
今日の目的地は600キロ先の街、ポート·ヘッドランドである。約500キロ走ってガソリンスタンドで給油。
此処ではカワサキ1400GTRに4~5人のお客が集まり、『グッド·バイク』の連発であった。
そのうちの一人が、リアタイヤの摩耗が激しくスチールが剥き出しである事を教えてくれる。
此処まで酷いとは正直予想できなかった。これではパースまではとても無理である。
又、そのうちの一人がポート·ヘッドランドの街は大きな街だから、バイクショップでタイヤ交換出来る事も教えてくれた。
何とかタイヤ交換が旨く行って欲しいと祈る思いだ。さもなければ4~5日は日程が狂う事と成る。
タイヤがバーストする事のないよう、車速を100キロ/h以下に抑えて走るが、GTRで100キロ/h以下で走る事も神経を使う事であった。
15時頃 ポート·ヘッドランドの街でモーテルをとる。この街は工業の街で、やたらと工場機械類が目に入る。
数キロも連なった貨車が線路を走る姿が印象的であった。モーテルも一見 安宿であったが、泊賃は230ドルと高額であった。
レセプションの女性に、ネット検索でタイヤ交換可能なこの街のショップを探して貰うと
『5時閉店であと僅かしか時間が無いが、このショップに行きなさい』と手書き地図と電話番号をくれた。
話す英語が半分しか理解できない上、土地感の無い街でバイクショップを探すのは大変だったが、やっとの思いでショップに辿り着いた。
ヤマハR1のタイヤがあるから、これで問題無い。『このタイヤなら明日付ける。嫌なら4~5日待ちなさい』とあっさり。
しかたなく明朝8時の約束をする。一時はビッグトラブルを覚悟したが、事なきを得た。
ヤレヤレ。
しかし今日のトラブルはこれだけでは済まなかった。
ホテルのレストランで夕食を食べる事にしたが、オーストラリアは今迄日本人の私には口に会う物が無かったので、
『ここらでシーフードを食べてみよう』と思った事が誤りの始まりだった。
このレストランのシーフードは『生かき』だったが、最近数年お腹を壊した事の無かった私は迷わず食べた。
痩せた生かきで、余り美味しく無かったが全部平らげた。
その夜。1時頃、なんか腹がムカムカしてきた。きっとあの生かきが悪かったのだろう。トイレで3度程嘔吐した。
この際、保険にも入っている事だから病院へ行こうと急いで救急車を呼ぶ。
海外でのちゃんとした病院は初めてである。救急車で運ばれ診察。
若い男性看護師に此処に来た事情を聞かれた バイクでオーストラリアを旅行している事等を話すとクールと言った。
自分も何時の日かバイクで旅がしたいと言う、診断は結局軽い食あたりだろう。
それよりも持病の高血圧を医者は心配してくれた。降圧剤とアスピリンを処方してもらうも、
アスピリンと聞いた途端20歳前後のアレルギーを思い出し躊躇したが、
40年もアレルギー症状が出ていないのだからと思い、思い切って薬を飲む。

この旅は本当に色々な事が次々を起こる。
だから思い出になる事は分っているが、気の休まる時はない。
このホスピタル·インのドライブインは1泊240ドルととても高い。
上·中·下で言えば下の中なのに。1日も早くこの難局を抜け出したい。
ポート·ヘッドランドの町は美しい町とは言えないが、何かにつけて活気のある町で外国人が寄ってきて人の嫌う仕事をさせられていた。
道路沿いに東京ドーム2・3個分はある塩の山が露店で積み上げられているのには驚いた。

2013年 4月 12日 更新 | オーストラリア大陸2万キロのバイク1人旅

 


 

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